かぐや姫 宇宙人説 [2009年9月25日]

自分で

「私は月から来た」

って言っているんですよね、かぐや姫。

中学1年ではじめて習う古典です。(竹取物語)

 

誰でも知っている昔話なので、ちょっとバカにしちゃっている子も多いんですが。

 

これがまじめに読むと、なかなかおもしろいんです。

教室長をしていたとき、とある中学生の女の子(当時)がこれを熱く語ってくれました。

 

「大昔の人が、こんなことを思いつくのは難しい。

  空想にしてもくわしすぎる。だから実話だ!」

と。(まぁ、中学生くらいだと、そういう話、好きですから・・・)

                     エイリアン     エイリアン     エイリアン

たとえば。真夜中に月の使いがかぐや姫を迎えに来るシーン。

夜「家のあたり昼の明さ(あかさ)にも過ぎて光りわたり」

  ⇒真夜中に昼よりも明るくあたりが輝きわたった。
   あんどんでも「明るい!!」という時代に、ここまで空想で書けるのか?

夜「大空より、人、雲に乗りて降りきて、

  土より五尺ばかり上がりたるほどに、立ち連ねたり」

  ⇒空から人が雲に乗って降りてきて、空中に立ち並んでいる。
   映像を思い浮かべてみると、ちょっとした一大スペクタクル。

他にも「とぶ車」があったり、ドアが自動に開いちゃったり、不老不死の薬が出てきたり・・・。

「昔話」「作り話」と片付けちゃえば簡単ですが、「なんじゃそりゃ!」の連続なんですね、このかぐや姫のラストシーン。

月見最後、「別れたくない」といっておじいさんたちと抱き合い、嘆き悲しむかぐや姫ですが、そこに「天の羽衣」をさっと着せかけられます。(ふと天の羽衣うち着せたてまつりければ)月見

この衣を着ると、人間界の記憶や感情(物思ひ)は無くなってしまうので、次の瞬間、もうまるで別人となって、まったく振り返りもせずに天に昇ってしまうのです。のこされた人たちの気持ちといったら、もう・・・、というお話。

まぁ、実話かどうかはともかくとして、

さすが千年の時を越えて

      語り継がれるだけのことはあります。

文部科学省も「古典」については、今後もっと大事にしていく所存のようですが、「古典文学」「短歌・俳句」というのは、一旦そのシーンをよく考え、思い浮かべてしまうと、大変「ハマる」、ものすごいものが多いんです。

 

2学期になると、ほとんどの中学1年生が「竹取物語」を学校でやると思うんですが、

「古典」をつまんない、退屈なものと思うのではなく、

「おもしろい!これ原文にはどう書いてあるの?」

という気持ちを持てるようになってくれたらな、と思います。

ちなみに国語の教科書で圧倒的シェアの「光村」の教科書では、この最後のシーンを教科書に載せていません。残念。


学校図書や東京書籍の教科書は、このシーンに言及しています。お使いの国語教科書(中1です)、ぜひチェックしてみてください。


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